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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)5973号 判決 1981年2月26日

原告

中村三津男

右訴訟代理人

高橋功

被告

成毛武夫

被告

阿部俊六

右両名訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二同2の事実のうち、原告主張の日時に原告が被告らに対し、原告主張の病状について診療を求め、被告らがこれに応じたことは当事者間に争いがない。

したがつて原告と各被告との間においては、右により、原告主張の病状について診療及び治療行為を行うことを目的とする診療契約(準委任契約)がそれぞれ締結されたものというべきである。

これに対し、被告らは健康保険制度を利用して診療を受ける場合には医療機関と患者との間に直接の私法上の契約関係は成立しない旨主張するところ、本件においては、原告が被告に対し国民健康保険を利用して治療を求めたものであることは当事者間に争いがない。

しかしながら、国民健康保険法による保険制度上においても、患者(被保険者)は診療機関を自由に選択でき(国民健康保険法三六条五項)、また医療費の一部を自己において負担する(同法四二条)等の関係にある以上、医療機関と患者との間では、右の公法上の健康保険制度に基づく関係とは別個に、私法上の契約関係が成立するものと解するのが相当である。したがつて被告の右主張は失当である。

三同3(一)の事実について判断するに、右事実のうち、サルバルサンには砒素が含まれ、これを治療に用いた場合、患者に副作用を生じることがあることは当事者間に争いがない。しかしながら、被告成毛がその診療にあたつて原告に対し右サルバルサンを注射により投与したことについては、これに沿う原告本人の供述が存在するが<証拠>に照し、信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて原告の被告成毛に対する請求はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

四次に同3(二)の事実について判断する。

1  まず被告阿部が原告に対し三回にわたりサルバルサンを注射したことは当事者間に争いがない。そこで右争いのない事実に前記二の事実並びに<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は昭和四六年九月四日、被告阿部に対し、約二年前から顔面に生じていた湿疹について診療を求め、以後同年一二月八日まで通院した。同被告は右湿疹を「慢性湿疹」と診断したうえ、右通院の間、原告に対し主に「ザルブロ」(サリチル酸ナトリウム臭化カルシウムブドウ糖注射液の一種)の静脈注射を続けたが、更に原告の強い希望によつて、サルバルサンの一種であるN・N・Aを同年九月一一日に0.15グラム、同月二七日に同じく0.15グラム、同年一〇月五日に0.3グラム、合計0.6グラムをそれぞれ静脈注射の方法により投与した。

(二)  その後原告は昭和四六年一二月中旬ころから下痢、発熱、倦怠感等の症状を自覚し、昭和四七年三月二〇日から同年四月五日まで肝機能障害の病名により大田区南蒲田の糀谷病院に通院し、同年七月九日から同月一一日まで鉄欠乏性貧血、不安神経症の病名により大田区仲六郷の横山病院に入院し、同年三月二日及び八月二日から同月二七日まで、昭和四八年一月一九日から同年二月二三日まで、同年五月一九日から同年六月一日までの各期間大田区南蒲田の蒲田総合病院に通院し(病名は不明)、昭和四七年八月三〇日から同年一〇月三一日まで砒素中毒の疑い及び偏執狂の疑いの病名で大田区蒲田の黒田病院に入院し、昭和四八年二月二三日から同月二四日まで急性咽頭炎の病名で大田区東糀谷の高野病院に入院し、同年三月一六日から同月二三日まで高血圧症兼心筋障害の病名で大田区大森西の大森病院に入院し、同月二七日から同年四月二日まで心臓神経症兼自律神経失調症兼十二指腸潰瘍の疑いの病名で大田区大森東の国枝外科医院に入院し、右同日から同月七日まで前記糀谷病院に入院し(病名は不明)同年五月二一日から同月二三日まで大田区池上の松井病院に入院し(病名は不明)、同年七月一八日から九月一一日まで心臓神経症の病名で大田区西蒲田の秋田病院に入院する等各病院において入退院、通院を繰り返した。そして原告は昭和五二年三月及び昭和五三年四月に東京大学医学部附属病院神経内科において診察を受けたが、当時の原告の症状は、いずれも、背痛、腰痛、右肩から左上腕にかけての痛み、長距離歩行の際における下肢の歩行困難、両下肢の遠位における軽度の触痛覚の鈍麻等であつた。

以上の事実が認められ、甲第一三号証の記載中原告の病名を「ヒ素中毒」としている部分は証人金親得介の証言により正確を欠くものと認められるから採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

2  そこで原告の右(二)の症状が被告阿部による右(一)のサルバルサンの投与により生じたものであるかの点について検討するに、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

(一)  サルバルサンは砒素を含む薬剤であるため、それを治療に用いた場合、その量、使用方法、体質等によつては、吐気、下痢、倦怠、悪心、発熱、食欲不振等の一過性副作用、サルバルサンショック、腎障害、サルバルサン黄疸(早発性、遅発性)、サルバルサン疹、無顆粒細胞症(白血球の減少)等の副作用が生じることがありうる。なお注射されたサルバルサンは数時間内に、より簡単な化学構造のものになり、大部分は肝臓に蓄積され、そこから体外に排泄される。また腎臓、胃腸壁、脾臓、肺臓等にも沈着する。排泄にあたつては、一般に静脈注射の後、五ないし一〇分で尿中に出現し、おおむね三日ないし三カ月にわたつて尿もしくは屎中に認められるが、多くは一ないし二週間を排泄期間とする。連続注射、ことに強力療法の際には蓄積作用も確認されている。

(二)  しかしながら、サルバルサン薬については、製造に当つて最小致死量と最小治癒量が規格されており、N・N・A等市販のものはそれに合格したものである。そして、他のサルバルサン剤と同様、N・N・Aについても副作用を避けるための使用量及び使用方法についていわれているが、それによると成人男子に対する一回の周期間における普通使用総量は体重の一〇分の一グラム、すなわち体重を五〇ないし六〇キロゲラムとすると約五ないし六グラムとされており、またその間の一回の使用量は0.45ないし0.6グラム(ただし最初はその二分の一ないし三分の一とする。)として一ないし二週間毎に一〇回前後投与するものとされている。そのため被告阿部が原告に注射したN・N・Aの量は右許容量をはるかに下回り、またその投与期間も短く、投与日の間隔も十分にあけてあることになる。一方原告は同被告の病院に通院している間、同被告に対し格別の異常を訴えることはなかつた。

(三)  原告が昭和四七年以降入通院を繰り返した前記1(二)の各病院における病名のうち、直接砒素中毒と関連を有するものは黒田病院におけるもの(「砒素中毒の疑い」)であるが、右は、同病院の医師が原告の当時の臨床症状に基づいて付したものではなく、原告から過去にサルバルサンの注射を打たれその後体調が優れない旨の訴えがなされたことに基づいて取り敢えず付されたものである(なお原告が黒田病院に入院した当時の主訴は食欲不振、全身の倦怠感ということであつた。)そして同病院においては右病名の下に原告に対し各種の検査を施行したが、その結果は白血球のうち桿状白血球がやや多いことと総蛋白量がやや少ないことの他特に異常は認められず砒素中毒との結論は得られなかつた。

(四)  また原告は右黒田病院に入院の間、同病院の医師の指示により中央労働災害防止協会労働衛生サービスセンターに訪き尿中砒素量の検査を受けたが、それによると原告の尿一リットル当たり五四七マイクログラムの砒素が検出された。しかし尿中の砒素量の正常値は一般に一リットル当たり一三ないし三三〇マイクログラムとも、一八ないし四七〇マイクログラムともいわれているが、個人差が大きく、正常人から六三三マイクログラム量の砒素が検出された旨の報告もあるため、原告の尿中から検出された右砒素量をもつて直ちに異常であるとはいい難い。

(五)  更に原告が診断を受けた前記東京大学医学部附属病院においても、当時の原告の各症状について原因は不明であるとしている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実に照らすならば、原告に対し用いられたN・N・Aはその使用により副作用をもたらす可能性のある薬品ではあるが、原告に対する実際の投与量、投与期間、投与間隔及びその間の原告の反応等からみて、その可能性は乏しかつたものといわざるをえず、またそもそも昭和四六年一二月以降の原告の病状自体、砒素の作用に基づくものであることを認めることもできないというべきである。その他本件において原告の右症状が被告阿部による前記N・N・Aの投与に起因することを窺わせるに足りる証拠はない。

そうであれば、原告の被告阿部に対する請求も既にその点において失当であるといわざるをえない。<以下、省略>

(川上正俊 持本健司 田邉直樹)

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